ふあんとなかよくする。

おまたさんの徒然草。書評、日常、メンタルヘルス。

回想的「8月31日の朝に」

8月31日ですね。

テレビではしきりに「18歳以下の自殺が一番多いのは9月1日」と叫んでいます。

そこで今日は昨日に引き続き、私の学生時代を振り返ってみようと思います。

 

私は、8月31日が辛い子ではありませんでした。

一般的に思い浮かぶような「ああ、夏休みが終わる」みたいな物悲しさはありましたが、明日から学校という事実で落ち込むことは、記憶の限りではなかったように思います。

小学生の時は、夏休みも友達と遊んでいたから、友達に会える嬉しさもなかったし、逆に会いたくなくて嫌な思いをしたこともなかった。

中学、高校は部活動の練習や体育祭関連の動きがそれなりにあったので、気づいたら夏休みが終わっていた、というのがその時持っていた実感があります。

はい、夏休みに関してはそんなもの。

 

でも、学校に行くのが辛いことはないかといえば嘘になります。

小学5年生で転校したときはまともに友達ができず、前の学校に帰りたいと思ったことがありました。

先生が帰りの会か何かで、私に友達がいないことや仲良くしないことをみんなに注意して、恥ずかしいと感じたことがあります。

その後、先生に声をかけられたクラスのお姉さん的な子と仲良くなったことで、それは解消されました。

 

中学は部活内で孤立気味でしたが、勉強は負けてなかったし、部活の競技自体が楽しくてしょうがないので、それについては気になってはいたけど、問題にならずに毎日通っていました。早起きもこの頃は得意だったから、「嫌い」より「好き」が上回っていたんでしょう。

中学でも転校があって、小学校とおんなじような顛末で友達がいたので、まぁ、助かりました。大阪だったのですが、今でも時々連絡を取ってくれる子がいるのでいい人に恵まれたんだろうな。苦労したのはなれない関西弁だったかもしれない。笑

 

高校の時は、時々学校に行きたくなくなって、かと言って完全にフケることはできず、中途半端にホームルームだけ休んだり、部活に出ないで帰ったりはありましたね。いるのは嫌だけど、強迫的に行かねばならぬと突っ張ってたのかもしれない。

学校に行くだけでエネルギーを知らず知らずにうちに使っていたんだと思います。だから、進路なんてものを考える余裕なんて全くなかった。

その結果、適当に浪人して、入れる大学に入って、学校から抜けられなくてそのまま大学院に進む形となり、精神科にお世話になりました。

そして、研究無理!!と逃げ出して就職、その中でツライが積み重なって今に至ります。

 

主観的に学生生活を振り返りました。

改めて見てみると、私は変わっているようで平凡な学生時代を送っていたと思うんです。

そして、別に今の自分に関して後悔はしていません。

ただ、もう少し自分のことを気にしてあげれば良かったなって反省することはあります。

今もよく言われるのですが、もう少し我慢するくせとの付き合い方を学生時代のうちにどうにか出来ていたら、悲しい思いはしなくてすんだかもしれないなと。

でも一方で、我慢したからこそ今日まで命をつないでこれたというのもあるんですね。なぜ我慢グセに関してモヤモヤしているのかっていうのは、その選択を自分が肯定してあげられていないから来ているのだと思います。

 

 

何が言いたかったのかわからなくなってきたな。伝わったかどうかわからないけど、私が言いたいのは

・8月31日じゃなくても1年365日、学校に行きたくない日はあるから、今日だけが「危険」な日ではない。

・どんな選択をしてもよかったことと反省点は出てくるから、学校にいるうちはとりあえず好きなようにしろ。責任なんて考えるな。

・「なんとなく・・・」は何かを守るサインが隠されているかもしれない。

・誰かに理解されたいかもしれないけれど、自分の選択は何かしら意味があると自分を信じてやるところから始めろ。

・人間生きていればそれで「勝ち」であり「価値」がある。

 

 

ちなみに今日8月31日特集を見ていた母は

「本当に行きたくないのか、わがままなのかわからないのよね」

と言っていました。

親という役割を背負うとまた違うのかな。