ふあんとなかよくする。

おまたさんの徒然草。書評、日常、メンタルヘルス。

幸せ貯金はじめました

本日、手帳についての判定が戻ってきました。

交付申請は認められませんでした、とのこと。

仕方ない。2年前の自分に比べたら症状は落ち着いているし、転職活動できるほどにいろいろできるようになってるし。なにせ、一番の症状の希死念慮が格段に落ち着いている。

これで、3/31を持って、退職の他、障害者を一応卒業する運びとあいなりました。

めでたいのかどうかはわからないけど、なにか一区切りをつけて次のステップへ行けるような感じがしています。

申請のための診断書代が無駄にはなったけどね。笑

 

そんなわけで、精神疾患をもちながら生きるすべを探している私は、Twitterでも、病気をやり過ごしながら生きている皆さんをフォローしています。

そこで気になっていたのが「幸せ貯金」というもの。

その日にあった嬉しいことや、ハッピーな気持ちになったことを紙に書いて、貯金箱に貯めていくというものです。

それまでの人生の幸せの貯金という意味と、「幸せはこんなに実はあるよ」っていうある種の認知行動療法のような役割をするのではないかな、とうつ病の私は思います。

だからやりたかったのだけれど、怒りに支配されて、手をつけることができませんでした。

でも、今日はきちんと心に留めておきたいことがあった。

 

今日は男性ホームの食事作りの応援に行っていたのですが、ここのところよく歩いていたせいもあって、足がパンパンでクタクタになってしまいました。(遊び疲れ。笑)

食事が終わってひと段落したところでつい「あー腰が痛い」とホンネが口から溢れ出てしまった私。

そうしたら、ホームで一番よく喋る男性が「頑張った証拠だよ」とひとこと。

 

感動しちゃいまいました。

 

その方は、私の勤め先では知的レベルの高い方で、お願いする率先していろいろなことを手伝ってくれる人です。

その反面、過剰適応の反発のような行動も出ていて、何年も何年も怒られてしまう行動をやめられなくなっている方でした。

私も彼の問題の部分は少し関与していて、それが嫌になっていないかなと心配している方なのです。

だからといってケース担当でもなく、ましてそのホームの担当ではないから「その場」を収めればいい、悪い言い方すると、責任持てないからなんにもできない存在でした。

 

だから、このセリフを聞いたとき、少なくともねぎらいの言葉をかけてもいい存在なのかなと思って、彼と不器用なコミュニケーションを取ってきたことが無駄ではなかったような感覚になりました。

 

だからといって彼との関係は大きく変化することはないだろうし、4月から彼との関わり方という点で、もっと薄く遠い人間になってしまうけれど、少なくとも、ねぎらいの言葉をかけてもいい相手に離れたのかなと思います。

こういう瞬間があるからこの仕事はたまらないなと思います。(だからって辞めるのやめないけど。笑)

そして、これがチャンスかなと思い、まだ残る肝油ドロップの中に「幸せ貯金」の仮置き場を作りました。

 

喜びの中に、今ある命を抱いて、それを繋げるものになれますように

 

明日は雨の中の休日支援。

休憩時間に読みたい本があるけど、たぶんそんな暇無いだろうな~

 

絶望読書 (河出文庫 か 34-1)

絶望読書 (河出文庫 か 34-1)

 

 

 

新しいおとな (河出文庫)

新しいおとな (河出文庫)