ふあんとなかよくする。

おまたさんの徒然草。書評、日常、メンタルヘルス。

気づき

今日、友達とごはんを食べていて気がついたことがあります。

「私は愛されてこなかった」ということ。

職場の人が、いろいろとあった私に心配や期待を寄せてくれていること、それが重荷になっていることは以前にも書きました。
それがなんでなんだろうってずっと思っていたんです。重くて、どこかに絡め取られていきそうで、嫌な気持ちばかりしているのはなんでかなって。

今日、友達とあれやこれや話しているとき、家族の話なんかしていて、ふっと思い出したことがあったんです。
母親に言われたこと。
「あんたが生まれた時から私は女中になった」
「あんたが父親に溺愛されているから、妹がそのぶん割を食った」
「あんたを父親があまりにも大事にするから、(母方の)親戚はあんたに手を出しづらくて、妹をかわいがっていた」
などなど。
要するに、父親から寵愛を受けていたこと、それによって周りを不快にさせていたことがあるというメッセージです。

母親の言う通りのところはあって、父親は私を今も溺愛しています。父親は亭主関白、その割にわがままで責任は取らないところがあって、思うままに母親をコントロールしている節があります。いや、私のことも、べったべたに愛することで、自分の手の内に入れていたのでしょう。

この状況、この言葉で私は両親からコントロールを受けていたわけです。
受けていた愛情がまともではなかったのですから。

その愛情の中には、教育方針も含まれていました。学校教育さえ受けていればいいというもの。
中学生の頃から、社会性のない自分のことは認識していて、焦っていました。
でも、高校、大学とろくにアルバイトもできませんでした。
成績を落としたら、無価値だっていう教えがあったから、それが怖くてできなかった。
大学になれた頃、母親にバイトがしたいと伝えたことがあります。
その時「そんなことにかまけてる暇があったら、ちっとは家のことやったらどう」って言われて負けました。
そんなんで、バイト経験の少ないまま、社会性がないままに、私は学生を終えたのでした。

思えば今まで両親の期待に沿うように、波風をたてないように生きていました。それが自分のなりたい方向だったら良かったのですが、違ったのでしょうね。その結果、ここまで来ました。
でも、それを後悔はしていません。それはその時に生きるために必要なことを必死で考えて頑張ってきた結果なのですから。そうしないと生きていけない自分はいたのですから。

ただ、変わりたい私がいて、そっちがそろそろだよって呼んでくれただけでしょう。コスパはかなり悪いけど。笑。


ちょっと支離滅裂。でも、また何か変わろうとしている自分がいます。