ふあんとなかよくする。

おまたさんの徒然草。書評、日常、メンタルヘルス。

「期待を請け負う」のが大好きだった私

9.11ってなかなかいろいろ節目ですよね。

東日本大震災から6年半だし、アメリカの同時多発テロからは16年。

普通に過ごしてはいましたが、少し慎ましくあった気がする一日です。

テレビニュースはそのことをほとんど取り上げなかった気がするけど。

 

最近どうも職場の人とうまく付き合えない感じがしています。

前の部署で仕事をしている私ですが、そこにいる方々は基本的にいい人たちばかりです。

真面目な話も、くだけた話も、上司の悪口も基本的には共有できる人たち。

でも、なんだか最近距離を置いておきたくて仕方がないのです。

 

なんでかじっと考えていたけど、少し見えてきた気がするので書いておきます。

それは「戻ってくる私」への期待なのだと思います。

手前味噌ですが、異動前は「重要な役割」を果たしていたと自分では思うし、周りもそういうふうに見ていてくれているところがありました。

だからバリバリ、脇目も振らず仕事をしていたところがあります。人の仕事も気にかけて、話をひたすら聞いてあげて。

そんな私を、みんな期待を持ってみてくれていた。

でも一方で、頑張っても頑張っても自分の中の承認欲求は満たされず、苦しい日々が続いていました。

職場で仕事をしながらしょっちゅう死ぬことは考えていたし、

できないことばかりに目がいって落ち込んでばっかりいたし、

苦しくって異動したいと申し出ました。その結果、戻ったほうがいいってことになっちゃいましたけど。

 

もちろん、周りの人は、そんな内面の葛藤は知る由もないので、なんでもやってくれる、聞いてくれる私が帰ってくると思っている。

そんなところに、ああ嫌だなって思っているのかもしれません。

 

以前なら、休んだ分も取り返さないとと思って働いていたのだろうけど、

もう自分を壊してまで働きたくない。

自分のことが大好きだから、嫌いになるほどのことをして生きていたくない。

だからこそ、周りのそういう期待に対して反発したくなるんだろうなと思います。「戻ってくる私」はあなたたちのものじゃないよって。

 

解消するには、多分この職場を離れるべきなのだと思います。社畜感の染み付いたところにいたら、社畜を肯定する自分を好きになれない。

だからって、自分はなかなか何がやりたいのかを教えてくれない。

 

あ、こんなもどかしい自分も好きになってる笑

 

なんかすっきりしちゃいました。笑

 

今日はまだ本が読めていないので、読んでから寝ようと思います。