ふあんとなかよくする。

おまたさんの徒然草。書評、日常、メンタルヘルス。

感じることと考えることの違い

今日は職場の友達がどうしても行きたいといったので、横浜へ遊びに行っていました。

山手ってところの洋館めぐりを午後3時間でやるっていう超強行軍。

写真は撮ったのですが、PCじゃちょっと上げられないので割愛します。

 

そんな体験の中で出会ったことを書きます。

ここのところ私は精神疾患を治すという「今、ここ」の感覚がわからなくて、

すごくやきもきしていました。

マインドフルネスの感覚が身体でも感情の面でもわからなくて。そんなのできないなって思ったりしていました。

今日、洋館めぐりをしていてふと、何も考えていない時間を過ごしていたことに気づきました。

確かに洋館のハーブティを飲んで嗅覚から何かを得ていて、

生プリン食べてその食感を感じているのに、

それを上手く言葉にできない。

洋館ひとつひとつにしみついたにおいとか

庭の作りの美しさとか

確かに感じているんです。でも、それが頭の中に言葉として上がってこないんです。

これが私の中では「感じる」ということなのだなと思いました。

 

ここのところ自分が受けた感じを一生懸命言語化しようとしていた自分がいました。

(そんな本を読んでいたからというのもありますが)

でも、言語になった時点で感覚は言語に置き換えられるから「考えたもの」になってしまう。その時点で最初に得た感覚はもうなくなっている。

そんなことに今日は気づきました。

また、感覚はそれをじっくり嗜むよりも、刹那刹那に過ぎていくものをどれだけすくい上げるかというものも「勝負」かなと思いました。

 

横浜山手の洋館は、神戸の異人館とは違い、無料開放してあるところもたくさんありました。そんなことばっかりを考えていたのでかなり相方さんを置き去りにしていましたが、いい体験ができました。