ふあんとなかよくする。

おまたさんの徒然草。書評、日常、メンタルヘルス。

「賢女」になりたい

彼女とは結局電話をしました。いつもどおり、彼女の話を聞くパターンになっちゃった。

ブログをかきながら電話していたら「転職活動?」とか聞かれたり。

確かに彼女にはもうやめてやるっていう怒りを何度も表明していたので、仕方ないことではありますが。

でも、それを聞いた瞬間、転職しようかなって思いも芽生えました。

人間関係をぐちゃぐちゃにして逃げるようで、すごく嫌だけれど、

負の感情が渦巻く中に自分の身を置くのは、今の私には(おそらく、前の私にも)なかなか酷。

「波乱の環境に身を置き、頑張っている自分」が好きだったのだなと感じます。

でも、それはやめてしまいたい。

好きなように生きさせてあげたい。

そのためには、少し嫌われてもいいかもしれない。

 

最近頭に浮かぶのが「賢女になりたい」という言葉です。

一方的だなと思うものの考え方に、過剰に反応してしまう自分がいます。

テレビ番組に対して、出てるタレントの好き嫌いで善し悪しを判断する母親の言葉とか、

精神疾患をサボりだと言いくるめてくる友人だとか(友人じゃないかもしれない。)

北朝鮮がどうしようもない国だという報道に対してまで怒ってしまう自分がいます。

 

でも、一方的だって思い込むことも、一方で一方的で、「一方的な発言をした人」に対して一方的な見方をしているということなんですよね。(なかなかの怪文。笑)

だから、怒りとともに「同じ穴の狢」っていう感覚を覚えていて、それがなかなかに虚しい。

そんな自分をどうしたら肯定してあげられるかなって思うんだけど、答えがでない。

そこでのたうち回っている感じです。

 

この3ヶ月ちょっと思考が自由になって、一方で非現実的になって、それを戻されるのがいやで抵抗しているのかなとも思います。

思考の自由は認められているけれど、行動は自由じゃないから。

考えるのは容易いけれど、それを実現するのは難しいから。

考えることに拘泥することで、活動することから逃げている。

そして、そんな自分を否定しているのかなって思います。

その結果、「もっと賢くいれば、自己否定しなくて済む」→「賢女になりたい」

 

書いているうちに、ひとつ方程式が解けました。少しすっきりした。

 

ということで、学校に逃げ出したいんだろうな。私。

だから、専門学校の試験結果を心待ちにしているんだろうな。

逃げにする、と考えるのではなく、発想を転換させたと考えたいけど。

でも、これってどうするかを決めて、その結果が出るまでわからないんだろうな。

 

「賢者」ではなくなぜ「賢女」なのかは引き続き考えたいと思います。

たぶん、セクシャリティに関する私の考え方が絡んでくる。

それはまた、別枠で書きたいが、もう気力がない。笑

 

「賢女」といえば、なかなかパンチのきいていたのがこれ。

 「~の言葉」ってキャッチフレーズはたくさん使われてて好きじゃないけど、この人の書く言葉は面白い。

賢女の極意

賢女の極意